2日目
空港到着後すぐにチェックイン。その場で、予想外の事件?が発生してしまいました。昨年のTG便同様、国際線の24時間以内の乗り換えなので空港利用税を払わないで済むと思い込んでいたんです。いや、今年訪れた台湾、香港、シンガポールもそう。あくまでもトランジットだから、支払いを免除される・・・と思っていたけどダメ。TGはよくてなぜPGはダメ!?と思ったけど(←いや、口に出してみたけど・・・笑)、にっちもさっちもいきません。しぶしぶ700バーツを払いました。2000円ほどとはいえ、タイの物価を考えるとなんだかとっても損をした気になってしまいました。
なぜここまでこだわったかと言うと、今回は事前にビザを取得せず現地でのアライバルビザを利用するからです。事前座席指定をできない会社の便なので、もし後方座席があたったら空港内に入る順番がかなり遅くなります。大部分が空港でビザを取得している現状を考えると、ビザの取得は一刻を争います。今回は不幸中の幸いで、座席が5列目。到着後に猛ダッシュで空港に向かったため(←タラップを降りたら徒歩でターミナルに移動です)、なんとビザ申請の列の4番目に並ぶことができました。私のビザは僅か5分ほどで出来上がりましたが、その時には既に100人ほどの人がビザ申請の列に並んでいました。最後の人が終了するまで小1時間ばかりかかるのではないでしょうか?しかも、ビザの申請の後は入国審査がありますからね。
降機後の猛ダッシュのおかげで、予想よりも早く9:15には出迎えのドライバーに出会えました。今回のドライバーは元中学英語教員で、現大学生のサンさん。政府公認英語ガイドの資格も取得済みとのことで、非常に丁寧で分かりやすい英語を話す方でした。
とりあえず荷物を置き、着替えするためにゲストハウスに向かってもらいました。3年前にも利用したことのあるゲストハウスです。30分ほどの移動時間で町の様子を見ていたら、その発展の早さに驚いてしまいました。町だったのが街になった感じです。空き地だったところに大きなホテルやお店が立ち並んでいます。車の台数も明らかに増えています。近年観光地化が一気に進んだと言われるこのシェムリアップの町ですが、あまりにも多くのホテルを建てことと、世界的な不況も重なり、ホテルの稼働率が低いことが指摘されています。また、新築のまま利用されていないホテル、さらには建設の途中で数ヶ月も放置されているホテルもありました。
このシェムリアップの現状について後でガイドさんに質問したところ、「この町は都会で便利になったけど。給料は変わっていないのに、観光客用の高い価格が他にも浸透してしまい、物価が2倍になってしまった」とのこと。観光でもたらさせる外貨。その外貨で発展した街。だけど皮肉なことに生活が苦しくなったものも多い・・・観光産業で成功した人はいいけど、一般市民にはありがた迷惑な面も多い発展のようです。
小回りコース観光中の印象を2つ。まず、時期的なためか経済状況のためか、観光客に占める韓国人とフランス人の割合が以前よりも多くなっているように思えました。韓国人は相変わらず大型バスに乗った団体で。フランス人は夫婦やカップルなどの2人組みが多く、かつ、移動手段に自転車を選んでいる人が多かったです。日本人はというと、大手旅行会社のバッジをつけた10名ほどの団体を2,3回見かけたのと、地球の歩き方を手にした若い女性2人組みを数回見かけた程度でした。町を見渡しても、ハングル文字を掲げたお店が非常に多く、韓国人観光客の占める大きさを物語っています←全観光客の半数が韓国人とのことです。
次に遺跡に対する感想。「すっかり観光地になってしまったな!」という印象です。「3年前もとっくにそうだった」と、古くからのリピーターにはそう言れるかもしれませんが、たった3年でこんなにも変わってしまうの?と驚いてしまいました。例えば、各遺跡内に順路あらわす看板がいたるところ立にっています。アンコールワットが顕著なのですが、神聖なる場所として建設されたたため内部の階段は恐ろしいほど急だったのですが、その上に木造の階段を設けています。階段だけではなくちょっとした段差にも木造の小さな踏み台を設置していました。なので歩きやすいこと歩きやすいこと。また、危険を回避するためか、アンコールワットの第3回廊は立ち入り禁止になったまま。美しいレリーフのある第1回廊も修復中で入れないところもありました。以前は2時間ほどかけて観光したワットですが、歩きやすいし、入れない場所も多いということで小1時間ばかりで大雑把な観光が終了しました。来る人を拒むような第3回廊の階段を登り、上からのあの眺めを得るからこそワットの偉大さを感じられた前回の私。2回目ということを差し引いても、今回はあまりにあっけないワットでの観光だったように思えます。
その後、アンコールトム、タプロームと観光しましたが、その印象はワット観光時同様。ただ、タプロームで象徴的だった遺跡を破壊する木の根が部が、遺なくなっていました。写真でよく見る光景がなくなっているんです。古いガイドブックを手にした観光客がその光景をもとめてさまよっていました跡すの破壊が進むため一部は伐採しているとのことでした。発見された当時のアンコール遺跡群を伝えるためあまり修復していないタプロームでが、更なる破壊を防ぐための作業は続いているようです。
時間的なものか、バンテアイスレイは非常に混みあっていました。前回は数件の土産物屋があっただけですが、今回は道の両側に商店街のようにな店が立ち並んでいます。それだけではなく、少し離れたところには立派なショッピング施設まで建設している最中です。経済発展のためには仕方いのかもしれませんが遺、遺跡観光を目的にこの地を訪れた人はそれをどう思うのでしょうか?先人の技術の高さを感じ、大自然の中にたたずむ跡の衝の姿に感動し、あるいは秘境のような場所を求め再訪する人も多いと思います。なのでこのショッピングセンター建設に対し、おそらく私と同様撃を受ける人も多いように思えてなりません。
最後に向かったのが地雷博物館。以前の手作りのものと比べると、施設も立派になり、展示も博物館らしくなりました。唯一残念なのは地雷に直接触れることができなくなったことでしょうか。それと、地雷除去のボランティアをしつつこの施設を運営しているアキラーさんの自宅に併設という以前たのものと比べると、どことなくアキラーさんが遠い存在に思えてしまいました。入場料も無料だった以前のものから(←以前は運営費と彼が世話する子供ちの生活は寄付で成り立っていました)、入場料が1ドルとなっていました。この場所で印象的だったのが、地雷により怪我をした子や、孤児になった子たちが笑顔で地雷を清掃していたこと。既に起爆剤を抜いているとは、自分の人生を狂わした悪魔の道具を無邪気に清掃しています。清掃後はこの博物館の展示品になるのでは?とのことでしたが、なんだかとっても複雑で後味の悪い思いをしてしまいました。
地雷について元小学校教員だったガイドさんが(←ドライバーのお兄さんです)説明してくれましたが、小学生には下のような写真やイラストを見せ地雷の恐ろしさを伝えるとのこと。ただ、最近では人の住む場所での地雷の除去が進み、地雷による直接の被害はだいぶ減少してきているのだけど、近年の金属価格の急激な上昇に伴い、素人が生活のために地雷を分解し、それが失敗、暴発して命を失うことが多くなっているとのことです。地雷を洗う子供たちもそうだけど、地雷は敵でもあり、そして自分の生活の糧でもある・・・日本人として、一人の大人として、私は何ができるのでしょうかお金を寄付すること?それで一時の生活は楽になっても、その後には続きません。日本を始めとする経済大国はどう支援するべき?・・・そん?なことを考えながらゲストハウスに戻りました。夕暮れ時のシェムリアップの風は時季的なもの、そして私の精神的なものもあり、涼しいではなく冷たくすら思えてしまいました。
ゲストハウス到着後、いつもなら町へ繰り出す私ですが、この日一日見てきたもののスケールの大きさ、そして人間の残酷さで胸がいっぱいになり、どこにも行かず、ただ部屋のベッドに横たわり天井を見つめるだけでした。
さすがに朝も早かったし、一日中歩き回ったので22時にはベッドに入り即爆睡でした。まあ、2時間の時差を考えると当然ですがね^^ |