シンガポール・スリランカ旅行記 2010年
2010.7.27〜2010.8.1


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3日目
 時差の関係で早くに目がさめたけど、さすがにまだ早すぎるのでベッドの中でゴロゴロしてから、ガイドさんに言われた7:15分に別棟になっているロビーに行くと誰もいません。そのまま15分待っても誰も来ません。待ちきれず先に食事を取り部屋に戻ろうとした7:40にようやくガイドさん登場。空港での待ち合わせと今回の件で、既に彼への信頼はありませんでした。

誰もいないレストラン。ガイドはどこだ・・・(-_-;)・・・食事内容はこんな感じ。

 チェックアウトを済ませ車に乗り込みます。実質的な今回の旅はこの時点でスタート。まず向ったのが車で4時間近くかかるシーギリアロック。世界遺産にもなっている、おそらくスリランカで一番有名な観光スポット・・・なのですが、ホテルを出てからの道、ずっと両脇に小さな集落が点在している田舎道。しかも、直線道路はほとんどなくつねに右に左にカーブが連続しています。舗装もつぎはぎだらけの簡易舗装。走っている車はスリランカ版オートリキシャーであるスリーウィラーや荷物を満載したトラック、遅い路線バスがほとんど。なので頻繁に追い越しをかけています。重心の高いワンボックスに乗ると自分で運転していても酔ってしまう私です。こんな悪条件が重なり、しかも寝不足も加わったのですから、1時間後にはすでにヘロヘロの車酔い。30分おきには車をとめてもらって、なんとかシーギリアまで到着。

シーギリアロック。こんな奇妙な岩の上に宮殿を建てたカシャパ王様。高さは370メートルもあるんですって〜。

本来はここの入場料もセットになっているので、体調がよければ上るつもりでした。いや、到着後に深呼吸したときまではそのつもりでした。ですが、片道で1時間、往復で2時間。しかも、入り口と出口が違うため途中で引き返すこともできない、そんなことを聞かされてしまい、すっかり怖気づいてしまいました。他の国と違い、「今回はパスして次回来たときに・・・」が多分無い国だと分かっていたのですが、こんな体調(←乗り物酔いよりも寝不足の方がきつかったです)で急な山道を登るには自殺行為です。

泣く泣く、車でシーギリアロックを360度一周してもらい、私のシーギリア観光は終了。実に皮肉なものです。悪条件が重なる中、こんなに離れた
シーギリアにきたのが体調不良の一因でもあったのですが、それが理由で目的のシーギリアロックに上れないんですもの。

この日程、この行程でなんら問題なくシーギリアロックに上れる人がいれば、それは相当の体力と精神力を持った人に思えます。まあ、起点が日本ではなくシンガポールなら、移動に要する時間が短縮されるので、意外と可能かもしれませんが・・・。

食事。ビュッフェスタイルでした。デザートの甘さにびっくり!ゼリーとアイスを同時に食べるのがスリランカ流とのこと。

シーギリアで涙を流した後は(←大袈裟・・・笑)、ビュッフェスタイルのレストランでの食事でした。内容的にはホテルの朝バイキングに毛が生えたようなレベル。感想としてあげられるのは、ガイドブックなどにも記載されているように、デザートが恐ろしく甘いこと。カレーなど香辛料が効いた料理が好きな人たちなのに、極度に甘いデザートも好むんです。はっきりした味が好き、そういえばいいのでしょうか。

甘党で有名な私ですが、それでも「
甘すぎて食べられない」そう思ってしまうほどの甘さでした。これは旅行中ずっと変わらない印象です。食事後、やけにガイドさんが「ゆっくりしてください」というと思ったら、彼、レストランに頼んで自分の携帯の充電をしてもらっていました。なんだかなぁ〜。

ダンブッラの寺院前にて。外から見ると、ただの岩山ですが・・・。

食後に向ったのは、シーギリア同様に世界遺産にもなっている、ダンブッラの黄金寺院です。紀元前3世紀にまで歴史が遡る、由緒正しき重要な僧院です。いったん下にある新しい寺院前で車を止めてチケットを購入した後、再度乗車して車で寺院のある高さ150メートルの途中まで上りました。そこからは徒歩で10分ほどの坂道です。結構な斜度ではありますが、さえぎる物が何も無いために、強すぎるほどの風が吹いており、ほとんど汗をかかずにたどり着くことができました。

内部はこんな感じ。遠くにはシーギリアも
見えていました。

手前がもっとも古く、一番奥が新しいと言われていますが、個人的には手前から2つ目がちょっぴり霊的で怖くもあったけど、神秘的というか、不思議というか、厳かというか、言葉では言い表せない不思議な感じで満ち溢れていました。

これで、この旅のメインとなる2つの遺跡観光があっけなく終了しました。しつこいようですが、自分の体調が優れなかったのが原因ではあるけれど、悪路をこんなに苦労してきたのに・・・という残念な気持ちでいっぱいでした。食事量もセーブしたし、ちょっとした時間でもしっかりと休むように心がけたので、夕方にはだいぶ楽になっていました。車が揺れても平気なくらいに。

2時間ほど走ったでしょうか。この旅で
3つ目の世界遺産となる、古都キャンディの街に到着しました。第一印象は、懐かしい感じがする、というものでした。なぜそう感じたか。まあ、これは国内全てで言えることなのですが、街行く車の80%以上が80年代、90年代の日本車なんです。自分が車雑誌を読みあさっていた頃の車が多数走っているんです。バブル景気に沸いた高品質な日本車も、10年も過ぎれば日本ではほとんど値がつきません。ですが、こうやって第二の人生をこんなに離れた異国でまっとうしている日本車たち。いろいろな会社名の入ったトラックやバスなども走っており、まるで少し前の日本にいるような気になってしまいます。ミニバン一辺倒で代わり映えのしない最近の日本の車事情ですが、スリランカの都市部にいる限り、輝いていた頃の日本車が生き生きと走り回っています。

だけど、いざ車を降りて街を歩くと、やはり
コロニアルな雰囲気で満ち溢れており、インドやシンガポール、マレーシアなどと同様に、絶対的な権力を誇ったかつての英国の影響力を思い知らされました。特に、今回泊まったのは築200年近いクイーンズホテル。さすがに古さは隠せないのですが、部屋の調度品や全体的な作りも含め、古き良き時代の英国の紳士的な魅力で満ち溢れていました。

部屋で荷物を降ろしたのが5:15だったのですが、実は事前の予定では17:30から民族舞踊を見ることになっていました。いや、4:30頃までは、ガイドも連れて行くと言っていました。が、いざホテルに着くと、「
やめたほうが良いのでは?面白くないよ?」と言い出す有様。そりゃ、外は小雨が降っていますよ。そりゃあ、徒歩で10分ほどの距離ですよ。だからといって、自分の国の民族舞踊を「そんなに面白くない」、さっきまで連れて行くといったのに「やめたほうがいい」というのはいかがなものでしょうか?

もちろん行きました(笑)。実は、アジア旅行中のこういう民族舞踊を見るのが嫌いではないんです、私。いや、どちらかというとミュージカルや演劇の類が好きなんです。特に、アジアの踊りを見ていると、他国のものとを類似性を見つけることができ、文化や歴史について考えることができるんですよ。

1時間ほどのショーの最後が、火の付いた墨の上を歩く見ているだけで目を背けたくなるようなものでした。これ、以前テレビで見たことのあるものでしたが、目の前で見るとやはり迫力がすごいのなんのって!しかも、観客は目の前にいます。日本では消防法の関係で絶対できないだろうな〜笑

アジアらしい踊りが続いた後は、火を体につけたり、火の上を歩く強烈な男性が2人登場しました。すごい、すごすぎ・・・。

ショーが終わり、ガイドが待っているといっていた場所に行ってみると・・・いません。しばらく待ったけど来ません。痺れを切らして劇場の外に出ると・・・いました。今回のガイド、やっぱり外れです^^;
もう呆れるしかないなぁ〜。劇場からホテルまでの帰り道、食事が変更になったとの連絡を受けました。中華料理のレストランでの食事が、ブッフェスタイルの夕食になると。まあ、何でも良いです、私。と、いうわけで「いいですよ?」と言ってから、いざ食事の時間になると、「夕食は中華です」とのこと。「はあ?」。しかも、中華レストランに行くと、店員が誰もいません(笑)。待っても誰も来ません。ようやくきたボーイにお兄さん、「今日はダメ」だって。結局ブッフェスタイルの夕食になりました。まあ、これについてはガイドさんは全て悪いわけではないのだろうけど・・・次から次に起こる細かなトラブル。

英国の雰囲気いっぱいのホテル。でも、さすがに古さは隠せません。もちろん、掃除は行き届いていました〜。

で、食事に「日本語教えて欲しい」というので、食事後に私の部屋に招き入れました。念のため、貴重品などは厳重に締まった上で。するとどうでしょう。ドアがノックされたの開けにいくと、彼が立っていました。しかも、なぜかズボンの上から自分の股間をまさぐっています。「え!!!!!!!!!!!!!!」と思ったけど、彼入ってきてしまいました。

しかも、入るなり、椅子を二つ近づけて並べ始めました。離して欲しいのですが・・・(^_^;)

部屋の前のロビーにある
エレベーター。

扉は、この格子だけ^^;

彼が教えて欲しいといったのは、日本人女性から彼宛に届いた手紙の説明、そして返事の文章の作成でした。おいおい、こんな個人的な内容の手紙を人に見せてもいいの?しかも、私はけして口外しないとはいえ、非常にプライベートで重要な内容の手紙です。その手紙の返事の内容、彼ほとんど私任せです。そんな。人の人生に関わるような大きな問題の手紙。あかの他人に返信文章を書かせていいのでしょうか??

結局、晩もビュッフェスタイルでした

30分くらい部屋にいたかなぁ。なかなか帰らないので、もう面倒になり、返事の文章、当たり障り無いようにほとんど私が作成してしまいました。

以上はこの日一日の流れ。午前中の私の体調不良を知っている彼。しかも、ガイドするのが仕事。そんな奴が夜に長時間にわたり客の部屋に居座るんですから・・・ありえません。


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