島根ちょこっと旅行記 2016.7.1〜2015.7.4 |
はじめに
はじめての島根。と、いっても出張での訪問です。雲南市の吉田地区という、かつて「たたら製鉄」で栄えたエリアへの出張でした。出雲市内へ行くのとはわけが違い、広島からのアクセスすら考えた吉田地区ですので3泊4日という日程での出張となりました。利用したのはいつもの楽天トラベル、楽パック。ただ、出雲へはJALしか乗り入れていないため、ANAのfrequent flyerの私も今回はJAL便を利用します。往路、復路ともに羽田経由。伊丹経由も考えましたが、便数が少ないため無難に羽田経由。とはいっても、ANAばかり乗っているため、最近まったく第1ターミナルにいくことのない私にとっては久しぶりの羽田、第1ターミナルの利用となりました。
行き | |
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帰り |
出張のためもちろん観光などはできるはずもなく、用務の終わった隙間の時間でなんとか足を運んだのが以下の3か所です。
空港からすでにご縁がありそうな雰囲気。左のゆるきゃらは「しまねっこ」というそうです。 |
出雲大社
まずは出雲大社。だいぶ暗くなってからの訪問だったのですが、しっかりとお参りもできました。駐車場からすぐ本殿に向かうこともできたのですが、しっかりと正門前の木でできた鳥居から中へ。とはいえ、石でできた第1の門はさらに離れたとことにあるので、2番目から4番目の鳥居を通ったことになります。本殿は現在は遷宮に伴って囲みに覆われており、その姿をしっかりと見ることはできませんでしたが、横にある“大しめなわ”で有名な神楽殿にはしっかりとお参りができました。ちなみにこの大しめ縄、島根県飯南町の頓原村の十数名のおじいちゃんおばあちゃんたちが手作りで作ったものなんですって。長さ13.5メートル、太さは最大で8メートル、重さはなんと4.4トン!!
出雲大社のおみくじには大吉などの文字はないのです。知りませんでした。 |
石見銀山
「いしみ」とかいて「いわみ」と読みます。世界遺産になった当時、調子に乗って間違って読んで笑われた経験あり(笑)。2007年7月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録された、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山の跡地です。
狭いようで広い石見銀山のエリアマップ。次回訪問する際にはレンタサイクルを借りてのんびり、じっくり見て回ります。 |
なんと鎌倉時代にはすでに露天掘りが始まっていたらしいのです。その後1500年代になって本格的に銀が採掘されるようになったものの、当時の技術です。酸化鉛の粉塵を吸い込んでしまった作業員たちが次々に鉛中毒を発症してしまい、30歳まで生きられたら鯛と赤飯で長寿のお祝いをされたほどなんですって。その後、1800年代ほどから資源が枯渇し、1923年、大正12年に休山となったのでした。日中戦争、太平洋戦争の最中に、軍需物資としての銅の国産化を目指して再度算出を試みても、1943年の水害で坑道が水没する大打撃を受け、とうとう完全閉山となってしまいました。
大森の町並み。自動販売機すら、町並みに 合わせた風情ある特別品でした。 |
しかし、その後も石見銀山エリアにある歴史的な建造物や遺構は、市や県、国などによって文化財に指定され保護されてきました。日本政府も、「東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形作った世界に類を見ない鉱山である」として世界遺産に推薦し、日本の世界遺産登録としては14件目、文化遺産としては11件目として悲願の世界遺産登録がかないました。
そんな歴史のある石見銀山ですが、12:25発の飛行機に間に合うように朝早くから、それも駆け足で観光することしかできませんでした。とはいえ、石見銀山の入り口ともいえる石見銀山世界遺産センターに入館して概要を把握し、また、大森の街並みも散策しました。本来なら、間歩(まぶ)といわれる坑道や水抜き坑の跡も自分の足で見学をしたかったのですが、常時観光ができる龍源寺間歩であっても9:00からの入場で、かつ、所要時間が30分から1時間といわれております。そもそも、車での移動ができない大森で、龍源寺間歩までレンタサイクルなどで移動する必要もあります。そんなわけで、せっかく訪れた世界遺産、そして日本の発展を支えた石見銀山ではありましたが、「玄関口」だけを見て中には入らずに戻ることになりました。なお、現在確認されているだけでも間歩が700ほど見つかっているとか。政府が推薦した通り、まさに自然と調和した文化的景観と言っても過言ではでしょう。
雲南市のたたら製鉄
今回訪問したのは、雲南市のうちでも吉田地区と呼ばれる、かつてはたたら製鉄で栄えたエリアです。もちろん、すでにたたら製鉄は行われておりませんが、今回は、地元の方がぜひ訪問したらいいですよ!とおっしゃってくださった、「鉄の歴史博物館」と「菅谷たたら山内」の2つを観光させていただきました。
吉田の町並み。そして由緒ある庄屋を改造して作った天佑丸のランチ。 |
正直に言いますが、今回島根に行くまで「たたら」という言葉さえ知らなかった私です。ですので、鉄の歴史博物館で資料映像をじっくりとみて、そののち、全国で唯一現存する高殿様式の菅谷たたら山内にいくことができ、たたらの歴史、旧吉田村の歴史について学ぶことができました。吉田でたたら製鉄が始まったのは、実に鎌倉時代であるといわれていますが、その後、高殿を構えた製鉄が始まると、1751年から170年間の長きにわたって操業が続けられ、大正10年最後の操業まで約1世紀もの長い間、世界一ともいわれる高品質の玉鋼を作り出してきたんですって。ただただその歴史、日本の技術力の高さに驚くばかりのHIROでした。
たたらはこの場所で作られたのです。 |
グルメ
日本各地を旅行&出張し、なるべくご当地の味を楽しむようにしておりますが、最近は、各地の麺料理に焦点をあてその違いを楽しむようにしております。もちろん、いろいろなものも食べますよ。ですが、麺類に絞って比較した方が、それぞれの町の特色、歴史、特産物などが分かりやすいと思って。
出雲市駅前の居酒屋さん。 出雲駅ではないのがミソ。 |
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真ん中の赤いのが「赤てん」。これだけあれば ご飯がどんどん進みそうなピリ辛さが最高! |
今回味わったものとしては、当然のように何度も食べた宍道湖のシジミ、初めて食べた唐辛子入りの練り物、「赤てん」がおいしかったですね。魚のすり身に一味唐辛子を練りこんで作ったものですが、何とも言えないピリ辛さが最高でした。
そして大本命の麺類ですが、島根には「出雲そば」というものがあることが分かりました。車を運転していても、結構あちこちでお蕎麦屋さんの看板やのぼりを見かけました。今回は出雲大社を参拝したのちに県道28号線を走っている際に偶然に見つけて立ち寄った、そば縁さんというお店でご当地そばをいただくことにしました。今回いただいたのは、特有の食べ方で知られる「割子そば三段」。詳しくはWikipedeiaなどで調べていただきたいのですが、日本3大そばの一つであるこの出雲そばは、だし汁自体を器に入れて食べるのが特徴です。ちなみに割子と書いて「わりご」と読みます。1段目を食べて麺がなくなったら、残っただし汁を2段目に移して、薬味なども追加。3段目も同様です。最後に残っただし汁にそば湯を入れていただくのだとか。まあ、正式な食べ方というより、好みの食べ方のほうが大切だとは思いますが、どちらにしろ、割子という器に直接だし汁を入れて食べるのはこの出雲そばの特徴ではないでしょうか?実際、とてもおいしくいただくことができ、お土産にも乾麺を購入いたしました。
これが割子そば。薬味がたっぷりでした。 |