長崎ドライブ日記
2009.10.172009.10.18


はじめに
 広島の原爆ドームを訪れたのはもう6年も前のこと。2年前の夏には、フィリピンで戦後も一人戦い続けた小野田さんの当時の所持品を見てきました。同年の末には沖縄のひめゆりの塔に行き、今年の1月にはベルリンの壁跡、そして先月もワシントンDCに保存されている、広島に原爆を投下したB29エノラゲイの実物を見てきました。私の中では、「平和への願い」が旅行の1つのテーマになっています。

 長崎への旅は私にとって必然的なものでした。ただ、まとまった休みはなかなか取ることができず、今回も1泊2日と、弾丸ツアーばりの忙しさでの旅となりました。残念ながら、ANAの現在の方針は、地方空港同士を結ぶ直行便をどんどんと廃止し、羽田を経由した乗り継ぎで移動してもらう、というもの。確実に乗客を確保できる羽田便は航空会社にとって欠かすことのできない存在ですし、利用客にとっても、地方同士を結ぶ便が1日1往復設定されるより、羽田(あるいは名古屋や大阪)を経由するものの、便の組み合わせに応じて時間帯を選ぶことが可能になるなど、利便性も少なくはありません。ただ、混みあっている羽田への一極集中をさらに加速させ、格安な乗継運賃を設定したとしても、それを利用できるのは搭乗の1月前までの予約に限るなど、金銭的なデメリットも生じてしまいます。もちろん、純粋な移動時間も経由便のほうが最低でも1時間は増えるはず。

 ちなみに、今回はANAの乗継旅割運賃を利用しましたが、同じ日付けでも出発時間によって運賃が違います。本来はスカイネットアジア航空とのコードシェア便に乗ってみたかったのですが、1000円高かったため、往復合計4便ともANA運行の組み合わせでの予約となりました。

[1] 10月17日(土) ANA 052 札幌(千歳)(08:30) -  東京(羽田)(10:05)     
[2] 10月17日(土) ANA 663 東京(羽田)(10:40) -  長崎(12:30)          
[3] 10月18日(日) ANA 666      長崎(13:40) - 東京(羽田)(15:20)             
[4] 10月18日(日) ANA 071 東京(羽田)(16:00)  - 札幌(千歳)(17:30)      

運賃は往復で40,400円ですが、貯まっているマイルからANAeクーポンに交換した 36,000円分を利用したため、実質的には僅か4400円。4万円という運賃ももちろん格安ですが、マイルを有効活用すると小遣い程度の金額で九州まで旅ができてしまいます。

 航空券もマイルというポイントを使ったのだから、ホテルもポイントを・・・といことで、最近の国内旅行の定番となっている楽天トラベルからの予約となりました。条件は中心部にあること、1泊5000円以下、朝食つき。格安なビジネスホテルチェーンの競争が激化している昨今です。こんな条件でもホテルが見つかるんです。今回はコンフォートホテル長崎を利用しました。楽天経由なら正規料金よりさらに格安の4300円。加えて、楽天証券で株を買ったときのポイントを支払いに回し、実際には3000円ほどの料金しか払っていません。

 ここまで安さにこだわったのですから、レンタカーも一番安い会社を・・・とも思いましたが、過去の経験から言って、レンタカーだけは大手の会社のほうが安心。それも、メーカー系ならほぼ例外なく新車の香りが残っている車に乗ることが.できます。今年になってからは、3月の岐阜、8月の鳥取と、2回続けてマツダレンタカーを利用し、そのときにもらった500円割引券があったため、今回も迷わずマツダレンタカーを利用しました。またAZ-WAGONが割り当てられるでしょうけど、この車種で走った距離は既に1000キロ以上になっています(笑)

諫早湾干拓事業
 レンタカーの鍵を受け取り、真っ先に向かったのが有明海内の諫早湾です。1989年より「国営諫早湾干拓事業」の工事が行われ、1997年4月14日に潮受け堤防が閉じられ、さらに2007年12月22日には、堤防の上を走る早湾干拓堤防道路ができた場所です。早いもので、堤防が閉じられたから10年も経過するんだ・・・というのが正直な感想です。閉じられた日の夜、偶然ニュース23でその衝撃映像を見たのを昨日のように覚えています。干拓推進派、反対派、双方にもっとな意見があり、高度に政治的な問題を含んでいるので軽はずみな発言は控えますが、以前より「自分の目で見てみたい」と思っていた場所の一つがここなのでした。

左。堤防の左側は海水です。中央。右側は干拓地へと続く閉ざされた海。右。干拓道路上にて。全長7キロです。

偶然なのかもしれませんが、警察車両が複数台とまっていたり、パトロールの人がずっと待機していたりと、なんとも物々しい雰囲気でした。技術力で暮らしを守ることも大切ですし、自然のまま、ありのままの生活に人間が合わせることも大切・・・干拓道路を走りながらそう考えました。それだけではなく、走り出したら止まらない日本の公共事業のあり方をあらためて考えるきっかけとなりました。門外漢の私には、これ以上のことはいえません。ですが、事業費が2533億円だったことだけは付け加えておきたいと思います。

雲仙普賢岳
 
諫早湾からまっすぐ向かったのが島原半島中央部にある雲仙普賢岳ちなみに、普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる総称が雲仙岳です。ここは、平成2年11月17日に最初の噴火の後、度重なる噴火、そして土石流の発生、しまいには時速100キロものスピードで流れ落ちる火砕流という現象まで引き起こした山として有名です。マスコミの危険な報道行為も記憶に新しいこの火山ですが、残念ながら、私が訪れた日はあいにくの曇り空。しかも、山道をかなり登った場所までいくと、こんどはもやがかかったようになり、平成新山を見ることはできませんでした。

左。今回の足。残念ながら旧型でした。中央。あいにくの曇り空。右。現在地が中央下部。平成新山は左上。

 この場所まではカーナビの誘導で来たのですが、今回の車についていたナビは危険極まりない道に誘導してくれました。見てください、下の写真を。車がすれ違うことはとうてい不可能な道。しかも、山の帰りなので結構な下り坂です。軽自動車だからよかったようなものですが、初めて来た道、いや、初めて運転する九州で、こんな場所を運転するなんて考えもしませんでした。まあ、対向車は2台しか来なかったけど^^;

こんな狭い道を通ることに!

出島
 
鎖国時代の象徴とも言うべき長崎の出島。1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた場所として有名な人工島ですが、開国後に埋め立てられ、今ではすっかり陸地となっています。ですが、1996年度から長崎市が約170億円かけ、出島の復元事業を進めており、往時の雰囲気を十分に感じることができるようになっています。ちなみに、私の第一印象は「狭い!」というものでした。狭いということは知ってはいましたが、え?これだけの面積!?と思わず声に出そうになったほど。公式HPには、いくつかの観光パターンが示されていたのですが、「完璧!すべてをまわる」では2時間、「時間がない!」では30分となっていました。雲仙から長崎市内に入り、出島に到着したのが5時過ぎのこと。開場時間が6時までなっているので、かなり急ぎ足の観光になるな、そう思っていました。ですが、入場料を払い、すべての施設の中に入り、写真もたくさん撮り、10分ほどのミニ映画なんかも見て、時計を見ると入場から40分しか経過していませんでした。詳細に解説文(日本文、英文の両方を比較しながら)も読みました。それでも、です。公式HPにある2時間という時間は、この3倍もの時間です^^;

左上の門が、日本と欧州を結ぶ唯一の接点でした。


 まあ、それくらい出島の面積が狭いということなのですが、こんな狭い出島が、当時の
日本と欧州つなぐ唯一のパイプだったのですから驚きです。

平和公園・浦上天主堂
 日曜日の朝、8時にホテルをチェックアウトして向かったのが平和公園とその周辺一体です。今回の旅の一番の目的がこの場所だったんです。土曜の夜のうちに、下見がてら向かってみると、渋滞でなかなか先に進まず、結局途中でUターンして戻ることに。その経験から、朝早く出発したけど、日曜の朝は幹線道路もガラガラ(笑)。当然、平和公園地下の駐車場も空いていました。人気もまばらな駐車場から、階段を上り地上に出てみると、そこには、有名な平和祈念像がそびえ立っていました。正直、その大きさに驚いた私です。想像していた大きさの数倍もの大きさだったんですもの。勝手に、高さ2メートルくらいだと思っていたのですが、帰宅後に調べてみると、像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さは約30トンもあり、指の先には避雷針まで付いています。また、ずっと力道山がモデルになったと思い込んでいましたが、俗説に過ぎず、正確なモデルははっきりしていないとのことです。とはいえ、その大きさに圧倒され、思わず身震いしてしまった私です。実は、この身震い、広島の原爆ドームの前に立ったときと同じもの。被爆したドームと平和を願って戦後に作られた像は、あまりに違うものではありますが、私の中では、どちらもが原爆の象徴なんです。

大きな、大きな平和祈念像。

 時間がたっぷりとあったため、平和公園をでてまずは爆心地、そして爆心地に程近い場所にあるカトリック教会、浦上天主堂にも足を運びました。痛々しい被爆マリア像、そして爆風で吹き飛んでしまった旧鐘楼を目の当たりにし、言葉を失ってしまった私です。ちょうど浦上天主堂にはどこかの女子中学の女の子たちが多数訪れていました。修学旅行でしょうか。また、爆心地には中国語を話す団体が来ていました。若い彼女たちは、被爆マリアを見て何を感じたのでしょうか?中国から来た団体客は、敗戦国日本についてどう思ったのでしょうか??

今回一番心に響いた場所です。

アップにします。この文章を読んで、
立ちすくんでしまった私でした・

 私の感想はというと、平和について考えるつもりで訪れたこの場所ですが、公園内のベンチで横になるホームレスの男性が2人いました。平和学習というと、何かしらの大きなことをイメージしがちですが、本当の平和とは、望まずしてホームレスになった彼らに再挑戦の機会を与えること、いや、ホームレスを作らないような社会体制を確立することなのではないでしょうか。そう思わずにいられなかった私でありました。

爆心地にて。左は爆心地に移設された
浦上天主堂の崩れた壁の一部。
再建された浦上天主堂。そして、重さ50トンもの
、爆風で飛ばされた鐘楼。この鐘楼だけが、唯一
残る被災したままの天主堂の姿です。

ホテル&食事
 ホテルは上述のようにコンフォートホテル長崎に宿泊。朝食付きでわずか4300円。夏に鳥取で泊まったスーパーホテルとは違い、フロントスタッフも大勢いますし、いたって普通のビジネスホテルでした。朝食もパン、おにぎりが数種類あり、おかずもそれなりにそろっていました。東南アジアのホテルを利用することが多い私ですが、以前なら「タイのホテルは安いよな〜」と思っていたけど、今では、日本の地方都市のホテルこそ、内容を考えると世界一安いホテルなのでは?と思うことさえあります。

こぎれいな部屋でした。

 最後に食事。到着した土曜日の昼は皿うどんを、その日の夜は長崎ちゃんぽんを食べました。皿うどんは有名なチェーン店、リンガーハットで。最初は麺の細さ、そして予想以上のパリパリ感に驚いたけど、最終的には「おいしい!」と思いました。いや、北海道でも定期的に食べたいな、そう思ったほど。まあ、基本的にはあんかけ焼きそばが好きな私なのですがね。ちゃんぽんは、ホテル近くの大衆中華と書かれた食堂で食べました。タクシーが数台とまっていたので、おそらく美味しいお店なのだと思います。ですが、個人的には「ごめんなさい」と言いたくなってしまう味でした。たった一軒で食べたもので「長崎ちゃんぽんは口に合わない」と結論ずけるのは危険なことなのですが、昔、北海道で食べた長崎ちゃんぽんは、あんかけ焼きそばそのものという味、食感だったので、本場の味付けに戸惑ってしまいました。

左の皿うどんが500円。右のちゃんぽんが(確か)650円。皿うどんはの安さが際立ちます

 日曜日の朝はホテルにて。お昼は予定外だったけど、空港のレストランでこれまた長崎名物のトルコライスを食べることにしました。フードコート以外の空港のレストランを利用するなんて、何年ぶりだろう・・・おそらく、北京の帰りに羽田で食事して以来ではないでしょうか?だって、高いんですもの(笑)。今回もほんとうは市中のどこかのお店で、と思いましたが、あてもなく走り回ったけどそれらしいお店に出くわしませんでした。それに、予定より1時間も早くレンタカー会社に着いてしまったため、他にすることもなく、結局空港で食事をすることになりました。
 このトルコライスですが、長崎で1950年代に発祥したようですが、正式な起源は謎のまま。ちなみに、トルコという国は関係がなく、「大人のお子様ランチ」との異名どおりの内容です。写真をみていただいたら分かるとおりです。まあ、味も想像通り。空港価格で1280円でしたが、内容を考えると、そんなに高くもないかな?

見ての通り、お子様ランチそのものです。

 結論として、次に長崎に行く機会があれば、皿うどん、トルコライスの順で食べることにします。ちゃんぽんは食べません。というのが、あくまで私の個人的感想です。

長崎-羽田はスタアラ特別塗装機でした。三浦半島にさしかかる頃には綺麗な富士山が!

 

TOPページに戻る

 

 

inserted by FC2 system