インド・タイ旅行記 2009年
2009.7.18〜2009.7.24

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6日目
 いよいよ実質的な最終日です。6:30にスタッフばかり多数うろうろしていて、コーヒーすら持ってこないサービス最悪のレストランで食事をとった後、7:15にホテルを出発しました。むかう先はデリーの街。出発地に戻ることになります。途中、小さな町をいくつも通り、スラム街も通り抜けました。野良牛も多数見ましたし、幾度となくバイクや他の車と事故りそうになりました。だけど、3日目にもなると、それがもう驚きではなくなっているんです。初日に、「インドはカオスな国だな〜」そう思った私です。多言語、他民族、多宗教、溢れかえる車、バイク。そして無数の人たち・・・だけど、驚きでしかなかったその1つ1つが、いや、それらが総体として、とても魅力的に思えてきたんです。語弊のないようしますが、スラム街に魅力があるわけではありません。ホームレスの人を見ると心が痛みます。だけど、うまくは言えないけど、その全てが集まって、インドという歴史のある、偉大な国を作り上げているように思えるんです。戦後、日本は、その後の重化学工業の発達に伴い、世界的な経済大国となりました。インドは、今ではIT関連では世界有数の技術大国となっています。この技術をもってしたら、底辺を支えるホームレス、スラム街の住人たちの生活水準を一気に高め、極端なまでの2極分化を緩和できるのではないのだろうか・・・。

世界遺産のクトゥブ・ミナール

 歴史や政治、経済が専門ではない私は、自分勝手にそう考えてしまいました。考えたというより、そう願っているのかもしれません。交差点の赤信号で車が止まるたび、乞食やホームレスの人が多数寄ってきます。ドンドン!と窓をたたく者。頼んでもいないのに窓ガラスを拭き、チップをねだる者。大雨の降る中、車の前でバック転を何度も繰り返し、泥だらけになりながら恵みを乞っていた5,6歳の女の子。雨が降り始めると同時に、雨宿りをするではなく、雨の中に飛び出し全身を洗うホームレスの人たち・・・そんな彼らを見て、幾度となく財布に手をかけました。だけど、きりがありません。それはそれはたくさんの人が恵みを乞うっているんです。彼らに僅かな恵みを与えるのは日本人として簡単なことです。ですが、それでは事態の根本的な解決にはなりません。彼らの自立につながる援助の方法を考えないといけないのでしょうが、残念ながら、凡人の私には妙案はありません。ですが、世界中のみんなが知恵を出し合えば、きっと何かができると信じてやみません。Yes, we can!!!!

 そんな複雑な思いのまま到着したデリーの街。まずは、クトゥブ・ミナールを訪れました。これはブッディーン・アイバクの命で1200年頃に建造されたもの。ミナレットは72.5mの高さを誇り、世界で最も高いミナレットと言われています。世界遺産なのですが、デリーに来るまで名前すら知らなかった私です。観光客が多数来ていましたが、そのほとんどがインド人でした。

カレーを食べた店はマックとピザハットの間にありました。右はレジの横においてある消化剤のようなもの。

 その後の食事は、「何が食べたい?」というガイドに対し、「最後はやはりカレーが食べたい」とリクエストしました。行った先は、高級なレストランではなく、至って庶民的なフードコートのようなお店。ですが、混み合う店内からもわかるように、味もおいしいし、かつ、インド庶民の日常を垣間見ることができとってもいい経験となりました。

第一次世界大戦で戦死した兵士(約8万5千人)を追悼
するために造られた。高さ42mのインド門

 食事の後、デリーの官庁街やインド門などを簡単に観光し、その後、デリーでの、いや、インドでの最後の観光地なる、ガンジーが火葬されたラージ・ガートに向かいます。ですが、空模様が怪しくなってきました。雨季ですし、しかも南アジアです。いつ大量な雨が降ってもおかしくはない条件がそろっています。ですが、「大丈夫!」一点張りのガイドさん。インドにいるのでインド人を信じるしかありません・・・が、 到着し、写真を数枚撮ったと同時に降り始めました。それも激しい雨が。数百メートル先も見えないほど、一気に雨と雲であたりが包まれてしまいました。雨宿りをしている最中、幾度となく「もうすぐ止む」というガイドさん。だけど、一向に止みません(笑)。しかもガイドさん、「傘は持ってこなかったのか?」と言い出します。大丈夫といったのは誰でしたっけ!?・・・と思いながらさらに待つこと10数分。しまいには、「じゃあ、雨を突破して車まで戻ろう」ということになってしまいました。雨はまあ、平気なのですが、道路までの500メートルほどの道はすでに冠水しているんです。恐るべしインドのスコール!

 川のような道を歩くこと10分ほど。ようやく車までたどり着きました。すぐに再出発となったのですが大都会デリーということもあるし、この大雨です。全然車が進みません。渋滞するなか、ふと窓の外を見るとボロボロの服を着た10歳くらいの少女が訴えるような視線で私を見ています。辛いけど、きりがない・・・そう自分に言い聞かせていると、なんとその少女。その場でバック転を何度も何度も繰り返すんです。まるでサーカスを見ていると思ったほどです。驚いた私の顔を見るなり、「すごいでしょ〜」という満面の笑みになったその少女。だけど、次の瞬間車が動き出してしまいました。

ガンジーが火葬されたラージ・ガート

 その後、信号で止まるたびにホームレスや物乞いの人たちが車の窓をどんどんとたたきます。私の乗った車だけはなく、インド人が乗ったリキシャーなどにも。だけど、私が見た限り、誰一人振り向こうともしません。誰一人小銭すら渡そうとしません。きりがない。その一言に尽きるのかもしれません。カンボジアでもそうでした。フィリピンでもそうでした。ミャンマーもそう。多くの国でこのような光景を見てきましたが、インド、それもこのデリーの街が、私にとって一番辛い街でした。きりがないんですもの。本当に多くの人がたちが・・・彼らだって、好きでそうなったのではないですし、そもそも、私と同じ1人の人間なんです。私と同じ。ただ、生まれた国が違うだけ・・・。今、旅行記をまとめているだけで、胸がいっぱいになってしまいます。

 そんな思いでいっぱいになった頃、私がリクエストした場所に到着しました。そこは、コルカタが発祥の地である「神の愛の宣教者会」の孤児院。時間さえあればコルカタまで行きたかった今回のインド旅行ですが、日本での仕事があり、どうしても帰らねばなりませんでした。そこで旅行初日よりガイドさんにお願いしていた場所がここ。デリーにある同じ宣教者会の施設。日本も含め、全世界に施設があるのですが、やはり大部分がインドに集中しています。

 ガイドさんも、長いガイド生活のなかでここに来たのは2度目とのこと。はじめてくるドライバーさん、2度目のガイドさんともに、何度も間違いながら私の願いのために、ここまで連れてきてくれました。

 最大50人の子供を収容するこの施設。小学校入学前の小さな子供しかいません。捨てられてしまった子どもなどを収容するらしいのですが、勝手につれてくることはできず、裁判所の許可が必要とのことでした。そして、子供を養ってくれるという里親が現れた際には、お気に入りの子供を連れて行くのではなく、男か女かの性別の希望だけを聞き、その性別の子供を里子にだすとのことでした。以上がシスターからうけた説明です。いきなり行ったにもかかわらず、私の職業や訪問した目的を話したら、丁寧に説明してくださいました。

 本来はここで戻るつもりでした。ですが、プレールームの前を通ったとき、子供たちに見つかってしまいました。すると数十人の子供が私めがけて突進してきます。しゃがんで待つ私の身体を引っ張ったり、ハイタッチをしたり、みな大喜び。だけど、その子供たちを見ていると、とめどなく涙があふれてきました。屈託のない彼らの笑顔。だけどその不幸な人生。まだ数歳なのに、です。しかも、怪我をしている子供もいます。生まれながらの奇形だと思うけど、歯がおかしな場所から生えている女の子もいます。だけど、みな素敵な笑顔なんです。唯一、1人の女の子だけが今にも泣き出しそうな悲しい目をしていました。おそらく2歳くらいだと思う。まだオムツをしていたし、歩き方もヨチヨチ状態。私のもとに走りよってくれたとき、その女の子、後ろから来た子に押され倒れかかりました。とっさに右腕を差し出した私。彼女が私の腕をつかむ力の大きさに思わずびっくりしてしまいました。必死なんです。抱き寄せ、その子を膝の上に乗せると・・・なんと、その子、怪我で片目を失明していました。それを見てさらに涙を流してしまった私です。すると、その子までさらに悲しい表情になるんです。

神の愛の宣教者会の孤児院にて。右上の
写真は世界中にあるこの会の施設一覧。

 その後30分くらいプレールームで一緒に遊んだでしょうか。言葉なんて通じません。ボランティアの女性が2人いたけど、彼女たちはヒンディー語で話しかけていました。だけど、英語と日本語という未知の言葉を話す私のところにも、子供たちがひっきりなしに寄ってきます。唯一、失明していた子だけはぽつんとうつむいたまま・・・だけど、その子も、最後に私が立ち去るときに手を振ると笑顔になったんです。嬉しかったなぁ。だけど、この後の彼らの生活を考えると、喜ぶことなんてできません。幾ばくかの寄付を残し、シスターにお礼を言ってこの場を去りました・・・後ろ髪を惹かれる思いで。

 貴重な経験です。この体験は、これからの私の人生に大きなプラスとなることと思います。

9年の歳月をかけて1648年に完成したムガル帝国時代の城塞、
レッド・フォート(赤い城)。2007年には、「赤い城の建造物群」として
ユネスコの世界遺産に登録された。

残念ながら門の前で写真を撮っただけです^^;

 以上でインドでの観光がほぼ終了。強制的に連れて行かれたお茶屋さんで仕方なお土産を購入し、その後、どこにいるかよくわからない商店街での1時間の自由行動。行きたい場所はありました。デリー市内にある世界遺産で今回訪れなかったフマーユーン廟です。だけど、現在地とはかなり離れているようですし、雨もまた降ってきそうです。リキシャーに乗って1時間で帰ってくるのはどうにも難しい雰囲気です。仕方なく、市場のお店をくまなく見て、その後はそこを往来する人たちをウォッチング。市場の外れにあるごみの山に群がる野良牛が一番印象的でした。ごみの山の前は簡単な公園になっていて、ごみに面してベンチがあり、そこで若者やカップルが思い思いに話しをしているんです。ごみを見つつ、野良牛を見つつ・・・これもインドの現実の一つなんでしょうね。

 既にすっかりと暗くなったデリーの街。しかも、相変わらず激しく雨が降っています。道路もいたるところで冠水しています。空港へ向かう車中、そんなデリーの光景をみながら色んなことを考えてしまいました。それはそれは多くのことを・・・だけど、私が考えたところで富と貧の差が縮まるわけでもありません。だからといって、何もしないでいては、一向に解決の糸口が見つかりません・・・。いったい、同じアジアに暮らす1人の大人として、私には何ができ、何をするべきなのでしょうか。

なぜか晩御飯は中華料理^^;普通に美味しかったけど。

 柄でもなく、そんな難しいことを考えていると、インドでの出発地だったデリーの空港に到着しました。移動距離は3日間で1000キロ以上にもなりました。こんな長距離を安全かつ無事に運転してくださったドライバーさん、そして私のわがままな願いをかなえてくれたガイドさんに幾ばくかのお礼渡し、空港へと入ります。まだ、定刻の3時間前。時間はたっぷりあります。


 ※空港到着後からは最終日に記載しております。


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